令和5年12月16日(土)私なりの染料とのつきあい方

(今回はぐるぐるした螺旋のような文章になるのですがご了承下さい)

ここ2ヶ月くらいの間に天然染料(草木染め)で染めたことが何度かあった中で、なんといったらいいか、化学染料の染色では出会いにくい色の良さを改めて感じた。「化学染料と草木染めのどちらが自分の絞りに合うか?」という問題を長い間気にしてきたけれど、それも一旦今年までで終わりかな?と感じている。

まあ、ものすごい大雑把な話にまとめれば、絞りの布を染めてみて「良い色だなあ!」とスッと感じられるのは、圧倒的に草木染めの場合だと思う。それはもう事実そうなんだと思う。認める。

化学染料でもそれなりの調整をすれば魅力的な色は出せるようになってきているのだけど、よそよそしくなりやすい。それは化学染料の構造の問題が大きくて、単一の色素ゆえの平板な染まり方が原因らしい。

天然染料は自然物を基本的にそのまま煮出すため、複数の色素が混在している。染め色は、光が布に反射することで「見える」ことになっているわけだけど、自然物で染めると光の反射の具合も複雑になるはずで、その元となる草木のもつ色素の数は、私の思うよりも多かった。どうも数種類ではなく百種類もあるらしい。えーっ(驚き)。だったら、どうしようもなく色の質が違ってくる。これは若干の行き詰まりを感じている部分でもある。

そんなことがわかりかけてきたので、化学染料では深みを出すために複数の染料を混色することにしている。染料の色数は市販の絵の具のそれに比べてずっと少ないから色数を混ぜるのにも限界があるのだけど。

一方で、草木染めにも問題はある。染色がうまくいって、心がほぐれるような優しい色がたまたま染めることができたとしても、一部の藍染めを除けば色持ちが悪くて、洗濯をあまりしなかった大昔はともかく、現代において実用的とは言えない。

それからもう一つの問題は、絞り模様に合わせて様々な色相を自在に染め出すことが草木染めではなかなかできない。どうしても染料の都合で色合いの範囲が限定されてしまう。

そんなジレンマみたいなことを感じてしまっていたのだけれど、今はこう思っている。

化学染料による合理的な染色をすることで私はやっと「作れる」状態まで来た。これは本当に、これまでの化学染料の専門家の研究のお陰だと思う。

手間がかかり、場合によっては思った色がでなかったり、すぐに色が変わってしまったりする非合理な草木染めの色を根気よく試し続けるには、化学染料による制作をして、ひとまず完成と言える経験を繰り返すことによって得られる安心感が必要だ。

草木染めは良い色(が出ることがある)だが、すくなくとも今の私の技術では色の安定が悪すぎる。それでも草木染めを続けたいと思うのは、草木染めの絞りの染め色を作り出すことで自分の目が変わってくるからだ。

これは最近確信している大事なことのひとつで、普段から染物制作のためにお花や野菜の色をよく見ることを心掛けているが、そのことと自分の染物の間に存在するのが草木染めの制作なのではないかな、と考えている。

化学染料と天然染料(草木染め)が良いサイクルとなって回転しはじめてきたと思う。ここまで来れば、染色の教科書的な本を読み足してもいいのかもしれないな、と来年以降についてフンワリ考えはじめている。

 

 

※今回もありがとうございました。次回は今年の秋以降に行った草木染め(イチョウと黒豆)の記録を書こうと思います。そして次次回は、今年最後のまとめと、読んでくださる皆さんへのご挨拶を書きますね。