令和5年11月22日(水)山崎和樹著『草木染 四季の自然を染める』より染料の分類を引用/食べ物で染めるということ

一口に草木染めと言ってもいろいろな染料があって、私の場合「染料店で買う」「採取してくる」「食べ物を使う」という3つに分けて考えていますよ、という内容の記事を前回書きました。令和5年11月12日(日)さまざまな草木染 - しぼりぞめこの制作日記

いつも参考にしている草木染めの手引書の中に、山崎和樹さんの書かれた「草木染 四季の自然を染める」(山と渓谷社)という本があります。「染め色図鑑」という項に、私よりももっと染料についての詳しい分類がありますので、目次からひと通り引用してみます。

野や河原---増えすぎた帰化植物や身近な雑草を摘む

雑木林---ドングリ、落葉など雑木林は染材料の宝庫

庭木や街路樹---落葉や剪定した枝を利用する

家庭栽培---庭先やベランダで、染料植物を育てる

染料店---代表的な染材料と、根、樹皮などが手に入る

台所---食材のあまりものを再利用する

これを読むと、山崎氏の草木染めの捉え方が伝わるような目次だなという感想を持ちます。染料の得かたとして、近くの自然から得たり、剪定して処分されるはずの木や、敷地内で染料になる植物を育てたりなど、素材が「身近」であることが重要視されています。

最近、私は黒豆を使って染めていますが、黒豆を美味しく食べながら、その調理の過程で出る液体で染められるようになりました。慣れないうちは豆から色素を煮出し過ぎて、余った豆は抜け殻のようなばさばさの味になってしまっていました。もともと食べ物としての安全を考えて作られた黒豆なので、なるべく美味しく食べないと染色もうまく続かず、美味しく食べながらやってみると染色の調子が出ました。

人によって考え方は色々で、それに基づくやり方は1つではないのですが「食べ物を安易に染め物に使わないようにしている」という山崎和樹さんの本の中での一節に習っています。

何故、染色に食べ物を安易に使ってはけないのか?という問いに対する答えは書かれていないので自分で考えるしかありません。

「台所のあまりもの」の項にあがっている染料は、お茶やコーヒーの出し殻、ピーナッツの薄皮、玉ねぎの皮だけでした。少ないです。黒豆で染まることについての記載もありません。

私は茹でた液体を調理過程で出る廃棄物と捉えて染め物に利用しますが、料理家の辰巳芳子さんは「黒豆の汁は咽喉咳の妙薬で、黒砂糖を入れて瓶に保存して、お茶がわりに何度も飲む」ように書いています。(『辰巳芳子の展開料理』p92 黒豆を日常的に ※要約)そのほうが本来の黒豆の利用の仕方として正しい気もするので、そういう理由で山崎氏の本では染料に入っていないのかもしれません。

山崎氏の本で、何故食べ物で染めることが少ないのか、という疑問に対する答えとして「食べ物を大事にするべき」というごく一般的な感覚ももちろんあるとは思います。しかしそれだけではなく、長い歴史の中で人間が扱ってきた物の役割、ある意味で伝統のようなものを崩すのは本意でない…というようなことでしょうか。

引用した目次にある染料の得方の姿勢を読み取ると、染めたいからといって何でもやって良いわけではなく、不自然なことはしたくないのだというようなニュアンスを私は感じました。

 

草木染めは、染料店で売られている染料はごく限られているし、自然から採ってきたものには染色目的でつくられた化学染料のような説明書がありません。

それだけに、安全面、倫理観、周りへの配慮など、それぞれの人の考え方があらわれやすい印象です。取り組み続けるのならば、個人個人の思考をきちんと組み立てていく必要があるのだなと思います。

次回は最近の私の楽しんでいる黒豆染めの手順と黒豆料理について書こうと思います。しばらく草木染めは「楽しみながら考える」という方向でやっていこうと思うのです。なぜ最近草木染めが前よりも楽しめるようになったのか、他にも理由がある気がしますが。それはまた書きます。

それではまた!ありがとうございました。