令和4年6月3日(金)涙について(絞りが『泣く』)

いつも頭のどこかで、涙について自主的に考えている。突然ですが、あなた最近泣きましたか?みんなそれぞれ個人的な事情で秘かに涙を流している(らしい)。

涙の話題を絞りに無理やり結びつける。

絞りは、糸で縫ったり絞り上げたりして布に強い圧力をかける。まれに糸が切れるか解けるかして染めているときに余計な染料が白場に滲んでしまうことを、絞り染め界では『泣く』と表現する。白く残すべきところに滲んでしまった色は、確かに涙がこぼれて染料が滲んだように見える。でも、実際は涙くらいで滲むようなものは染色ではないよな、とか、そういうことじゃなくてただの例えなんだろうな、とずうっと思っていた。

最近の涙の話を周りの人に聞いてみているうち、ふとさっき、突然思い当たったことがある。絞り染めは青花という、露草の仲間の花の染料を使い模様の下描きをするのが伝統的だ。青花からとれる色素はたいへんに水に弱いので、平安時代には青い服を染めていたが青花染めは機能面の問題で布の染色から廃れた。しかし、水に溶けやすい色の特性を利用し、染め物の下描きの色として長年使われてきた歴史がある。現在は代用青花で化学染料になっているが、同じく布を染料につければ下描きが水で綺麗に落ちて便利、ということになっている。

絞り染めを生業にしてきた人は、その青花で染めた布を縫い絞るなかで、毎日の暮らしの出来事を思い泣くことも、きっとあっただろう(私も修行中手が汗ばんで青が流れて慌てた記憶がある)。

ここから推測。うっかり仕事中に涙で滲んだ青花の色を布地に見たに違いない。染めたものが失敗してしまったとき、その青花の涙と、その涙の先に見たものが思い出され、染料が滲んだ絞り布の上に「見えた」のではないだろうか。

涙は個人的な、生きるうえでの根っこと関わるものと思っている。推測に過ぎないけれど『絞りが泣く』は昔の人の暮らしの根っこから生まれた表現なのではないかと考えた。