令和5年8月8日(火)色に関する引用④〈村上道太郎〉

こんにちは。「色」という言葉が気になっています。色という日本語はどうやって出来たのか?ということを考えてみます。辞書をひいてみると、色という単語がつく言葉が多いです。色合い、色遊び、色々、色香、色敵、色硝子…色が頭につくのだけで150語以上も見つけました。恋愛や遊郭遊びに関する言葉がやけに多く目立つのですが、それよりももっと根っこにある言葉をひいてみましょう。同じページに同母(いろ、と読む)という言葉が見つかりました。同じお腹から生まれた関係を示す言葉です。兄や弟は「いろせ」姉や妹は「いろも」です。

「色香典」なんていう言葉も見つかりました。お葬式などの、親戚からのお香典を指します。初めて知りましたが「いろ」は元々「血のつながり」という意味合いがあったということになります。それから「顔色」。顔面の色合いで調子を判断することがあります。野菜や肉の色をスーパーで買い物するときに判断材料にもします。

染織家・村上道太郎の『萬葉草木染め』にはこう書かれています。

現在では、「いろ」といえば「色彩」と割り切って考えられていますが、万葉集ではそういう意味では使われていません。当時は色彩の呼名は、「アカネ」とか「ムラサキ」、或いは「丹(に)」といったように、その色彩が染められる植物、或いは顔料としての土、そのものの名前でよばれたのです。(『萬葉草木染め』p4より)

「色は命である」と著者は主張しています。布に染めた色は命であると言われても、私はまだ余りピンとくることができていません。しかし、古代において色は身を守るものだったということは本を何冊か読むとわかります。中国では、色とは血色のよい顔色のことだったそうです。そういう「色々」を合わせれば、色は生命力のあらわれだと考えることができそうです。

さっき挙げた「顔色」について村上さんは「健康と病気、平和と不安、いいかえれば生存=命の状態を表現している」と述べています。

色は赤信号などを見てもたいへん大切な情報を伝えるものですが、さっき見かけた花の色を正確に伝えるのは難しいです。それはどんな赤だったかを言葉であらわすのは限界があります。色は思ったより曖昧で、扱えているのかどうか自信がなくなります。

そしてどんなに心に残っているとしても、目を閉じた状態でその花の色を思い浮かべられるかというと、なかなかできないものだなぁ〜とこの間気づきました。色は記憶できないのでしょうか、不思議だと思いました。みなさんも試してみてくださいね。