令和4年6月29日(水)未知の絞り方を想像する

絞りは、染めたあとに糸を解いてしまえば一枚の布の形に戻る。どこかの誰かが染めた知らない技法のものについては、実物をみても絞りのやり方がわからない。実物を見られる場合、よく見ると針の通った跡が残っていることもあるので、それをヒントにして考えたりする。

3年前、片野元彦の大きな展示があり新幹線に乗って行った。日本民藝館の展示室内で、関西の言葉で4人の婦人がたくさんの作品をみていて、ああでもないこうでもないと喋っていた。「あの作品のあの部分はどうやって絞ったのか?」ということを議論していたのだった。あれは布をああして、あてて、縫って。棒を入れてるような気がする」「棒、入れてるかなあ」「入れてるやろ」など。その時、私はまだ絞り技法の知識を今よりも持っていなかったので、ひとりで作品をみても、どうやって絞ったのか類推することができなかった。「棒を入れる」という技法があることも知らなかった。ただ、絞りを作っている人というのは技法を類推できるものなのだな……と、横目で見ながら思ったことを覚えている。4人はいつの間にかテーブルを見つけて着席し、丸くなってさかんに議論の続きを交わしていた。

と、ここまでは私の思い出。そして昨日は、正倉院裂の図録を眺めていた。ほとんどが織りなのだが絞り染めが数点ある。正倉院の布を私は好きだ。一見難しい技法ではなさそうな、素朴なデザインの、その中の一点を見ていた。鹿の子絞りが施された布の一部に鹿の子絞りが4つ繋がったような絞りがあることに気づいた。思ったことは以下である。

これはなんだ?技法書でも見たことがない。鹿の子絞りは縫わない絞りだが、こんなふうに絞るにはどうすればいいのだろう。4点を掬うように一目ずつ縫って、あとは鹿の子と同じように絞れば、ああいうふうに染まるだろうか。かんたんそうに見えてよくわからない、不思議だ。ちょうど今咲いているどくだみの花のような十字形をした絞りだ。

私がもし今4人に分身したなら、3年前の片野元彦の展示の時のご婦人たちみたいに絞りのやり方を予想して、ああだこうだと喋ってしまいそうだな~と本を開いたまま笑ってしまった。