絞り染めは、縫いとめたり縛ったりして布に圧力をかけるので染まるところと染まらないところの境界線が曖昧になり輪郭がぼやけグレーゾーンができる。京都の鹿の子絞りはごく小さな面積をつまみ糸できつく縛るからかなりはっきりした線が出るが、出来上がりの模様はドット絵か点描のようになるのでモチーフ(題材・対象物)の存在がやはり曖昧である。絵や写真をそのまま着物の上に表現する友禅やプリントの技術がなかった時代は、絞りの作り手はその曖昧さをどう感じていたのだろうか?もっと本物の花や鳥のように明瞭に美しい文様を染めたいと思っていたのか。それはわからない。受け手の想像力をもう一枚余計に信じているように感じるから、私は絞りの曖昧さがむしろ好きだ。例えばだがリアルなゲームの画面が技術的に可能になってみて初めて、昔のカタカタしたスーパーマリオもあれはあれの良ろしさがあったと思う。現在の暮らしの中で絞り染めの表現を愛する私の感覚は「8ビットのマリオ可愛さ」にも似たものではなかろうかと考えた。