辻が花には謎が多い。一応、現代の作品の実物を見たことはある。でも本当に美しい辻が花をいまだ目にしたことはなかった。だから辻が花の魅力というものもよくわからないままだ。3年ほど前に古本屋で見つけた、日光で色褪せた表紙の辻が花の染色の美術本には、安土桃山時代の代表的な辻が花が載っていた。その着物の、当時の最高の染め分けの技術と、永い時によって経年変化したであろう染料の色合いが目を惹いた。閉店セールで半額だった本は日に焼けて、時間の経過で所々色が落ちて表紙そのものまで辻が花のようで、中の写真資料が自然に目に馴染んだので購入しておいた。
ほかにも普段から辻が花に関する情報があればチェックする。しかし辻が花の共通点とは?辻が花たらしめるものとは何なのか?わかるようでイマイチわからない。試しに今年買った広辞苑で「辻が花」をひいてみた。
つじがはな【辻が花】室町中期から江戸初頭にかけて盛行した絵模様染め。草花文様を紅色に染めたもので、麻布の単物(ひとえもの)のかたびらに行われ、女性や子供が着たという。現今は縫い締め絞りによる絵模様染めの称。
私は戦国武将の辻が花を本で見ていたりするので若干印象の違うところもあるが、現代で縫い締め絞りの絵模様染めであれば辻が花という説明があり、確かに昔の辻が花と、現代における辻が花の異なることが多いのも、辻が花が解りにくい理由だろう。たいていの美術書の中での辻が花とは、少なくとも多色染め分けの植物文様の縫い絞りと、そこに墨描き・刺繍・摺箔などが合わさって豪華だ。しかしそれは当時の辻が花で、現代においては縫い絞りの絵模様の絞りなら単色の染めでも辻が花作品が存在する。体系的に捉えるほどの蓄積がされないままに一度消えてしまったのだろうか。だから定義があやふやなのか。
ところで辻が花という着物は「盛り上がってそして、忽然と消えた」と言われるがそれは何故か。その事情はだいたいこんな感じだ。「辻が花は植物等の模様を精緻に表現しようとして様々な技法や染料、金箔など異素材を組み合わせていたが、色糊の開発をきっかけに友禅染めの技術に取って替わられた」。安定して生産しやすく、なおかつ絞り染めが苦手とするリアルな描写が可能な友禅染めは、染色のテクノロジーとして辻が花より完全に優位であったろうと思う。しかし芸術的表現として考えれば、友禅染め以上の存在感と異世界のような迫力を持ちうるのが辻が花であった、などとも言えそうであり、私はそのへんを出来れば体感したいのだけど、かわりに、地元の図書館で辻が花作家の自叙伝を偶然見つけ借りて帰った。
その制作への道のりを読み、特に辻が花との初めての出会いについて感動をこめて書かれた文章は辻が花の本当の魅力について少し想像させてくれた。私のお祖父さん世代の作家なのだが、初めは友禅染めの修行をして稼げるようになっていたのにそれを捨てて辻が花の制作に飛び込み、一生を費やしたという。調べてみるととても有名な作家だった。そこまで人を動かした辻が花の裂に、私は以前よりも興味をひかれた。
長くなってしまったので、次回の記事で辻が花作家の久保田一竹氏の文章を詳しく引用する予定。ではまた次回。