日本の絞り染めの歴史を理解する中で、辻が花は避けて通れそうにありません。でも辻が花は「幻の染め物」と言われていて、その布は謎に包まれているということです。
針と糸を使う「縫い絞り」による絞り染めを私もやっています。安土桃山時代のものとはだいぶ違うのですが、現代においてはこれも辻が花に分類されるという説が辞典に載っていました(広辞苑第六版)。自分がやっていることだから、おおもとの辻が花とは何であるのかは知っておきたくなります。すくなくとも、ある時代の大勢の人が辻が花を「美しい」と思ったことは確かなようです。
では、人はなぜ「美しい」がわかるんだと思いますか?初めて見たものをどうして「美しい」と感じるのか…ということに私は興味を持っています。
今日は、久保田一竹さんの自伝より辻が花との出会いについての文章を一部引用してみます。久保田さんは辻が花を「室町時代の中期から江戸時代初期にかけて流行していた絵模様染め」だと本に書いています。
辻が花の美しさと、そして何かに心を動かされる瞬間について、私と一緒に少し想像をしてみましょう。以下は引用です。
染色に従事する者にとって、とにかくそれは魅力的な小裂であった。私はつきものに憑かれたように、端から端まで丹念に見ていった。絞られ、そしてその上に墨による手描きが加えられ、刺繍が施され、金箔もしてあった。絞りがほどききれず、麻糸のようなものが残されているのも見えた。年代が経っているため、絞りも刺繍も全部焼けて、その焼けた色合いも部分的に異なり、さらに金箔がわずかに残っているさまは、異様な美しさで見る者に迫った。荘厳で、しかも「わび」とも「さび」ともつかぬ凛とした風格のなかに、中世の美の結晶を感じさせるものがあった。私は、背筋に寒気が走るような衝撃を受けた。やがて閉館を知らせにきた守衛さんに肩をたたかれ、ようやく現実の世界に戻った気がした。
『命を染めし一竹辻が花』久保田一竹著 p42より
以上は、久保田さんが手描き友禅職人として独立1年目の20歳の時。染色の勉強で古代衣装や能衣裳を見るため、毎日のように通っていた上野の帝室博物館(※現在の東京国立博物館)での出来事でした。45×20センチほどの小さな、ところどころ傷んで擦り切れたカゲロウのように薄い絹の古裂だったとのことです。意識せずに通り過ぎようとしてふと、何かを感じて振り向いたと書いています。その後紆余曲折あり、手描き友禅を辞めて独自の手法で辻が花の制作をし続けたという自伝でした。
身の回りに縫い絞りの制作をしている人がいない私からすると、実際の作品を見たことがなくても、絞り染めの美しさをこれくらいはっきりと言語化してくれている文章は貴重だな……と感じました。視覚的な要素の多い美術工芸品の分野の言語化というのはもちろん限界があるにせよ、後世への何らかのヒントになることは間違いないので、文章を書くということは大切です。
できれば同じ古裂を見る機会が、私にもあるといいな〜、と思っています。今も辻が花を実際に見られる施設などがあったら是非教えて下さいね。