令和5年10月4日(水)皮膚は木綿と似ている

こんにちは。今日は木綿についての個人的な思いを書きます。もともと手ぬぐいが大好きなので肌触りのよい晒(さらし)木綿を選び、絞り染めに使っております。

肌寒い季節になってきました。小さな子供の首に巻いていた絞りの手ぬぐいを取ってひとりでゆっくり畳んでいると、子供のきめ細かい肌と似ているなと気づきました。このとき、平らなところで一折りするたび、手のひらのアイロンで‘さあっ’と撫でながら畳むのがいいです。さらに最後、四角くしないでくるくる巻くと、1枚の手ぬぐいがちょうど子供の腕くらいの太さになりました。しばらくの間撫でたり、握ったりしていました。

細めの木綿糸で滑らかに織られた「岡生地」という規格の布を絞り染めして碧色の手ぬぐいに仕上げたものでした。すべすべ、ふわふわ、柔らかいのに張りもあり、使っているときの少し湿っているようなしっとり感まで人の肌に似ています。糸で強い圧力をかけて絞っているので、細かい模様ほど布の繊維がやわらかく仕上がるという特徴が絞りの布にはあります。

だれかの不在のときも、布はなにげなく側にあります。布って地味な力だなあと思います。

 

木綿は意外と、歴史的に新しいほうの繊維で日本の人々に広まリ始めたのは戦国時代から江戸時代です。木綿の種はもっと昔に伝来していたのですが、栽培が難しかったそうです。国内で木綿の栽培に成功し、その後、明治のころに織布の機械化もすすみ、だんだんと手に入りやすいものになってゆきました。

麻とも絹とも違う性格の、ふんわりとした木綿の繊維は人間の肌にとってとても優しいものに感じられたといいます。この辺りのことは、柳田國男の『木綿以前のこと』に、もっと印象的に述べられています。

シャリっとした麻よりもやわらかく/ツルリとした絹よりも温かい木綿の布も、いまではありふれたものです。どうしてこんなにありふれたものになれたのかな、と考えると、その理由のひとつは、木綿が人の肌に似た繊維だからなんじゃないかなと思うんですよね。化粧水をつけるときもコットンをつかうし、怪我をしたときも脱脂綿をつかいます。肌への負担が少ないのかな。

着ていることをあまりはっきり意識しなくてよくて、逆に、遠いものに対する憧れみたいなものは感じられなくて。人間にとってとても親しく感じやすい「ともだち」のような繊維なのではないかと思います。

ここまで書いていて、一番多く染めている木綿の歴史くらいはもう少し詳しく勉強したいなと感じました。来年くらいにかけて書ければいいなと思います。

それでは。健康で、リラックスした秋を過ごしましょう。今回もありがとうございました。