令和5年4月17日(月)「手ぬぐいとは何か?」という話を手ぬぐいが好きな人へ向けて書いてみる

こんにちは、しぼりぞめこといいます。ハンカチ、手ぬぐい、ロング手ぬぐい、などを絞り染めして使っています。風呂敷も染め始めました。どれも四角い布ですが、今回の文章はそれらを代表して、手ぬぐいのお話です。2つ前の記事で「さらし考」という前編記事を書いてしまったまま続きが進んでいないので、それとは別に数年くらい気になっていたことを一発、書いてみます。

「手ぬぐいって何に使うのですか?」という質問が世の中にはあって、手ぬぐいを使う人からすると「何にでも使えるよ!」と思うのだけど、その質問に具体的に答えようとする前に、ひとつのあやふや〜な問題を感じるので、そのことをちょっと頑張って書いてみますので、どうぞ手ぬぐいが好きな人だけ読んでください。

世の中には色んなことを一緒くたにしてしまうことで分かりづらくなってしまっているものがあると、最近聞きました。例えば、勉強については、3つの勉強がある。まず受験などテストに受かることや単位をとるなどの手段としての勉強。2つ目は純粋に学ぶ楽しさを感じるための勉強。3つ目は人と同じことをできるようになり、社会で生きやすくなるための勉強。これらが「勉強」というひとつの言葉に全て混ざってしまっている……という問題です。それを聞いて、へぇ、なるほどなあ〜と思いました。確かに、分けて考えたほうがいいかもしれませんね、場合によっては。

ちょっといきなり話がそれたようで回りくどい感じで、すみません。何故こんな話をしたのか?というと「手ぬぐいを何に使うか」という質問に答えようとすると、その勉強の話とは逆で、話をいきなり狭めてしまっているのではないかという問題を感じるんですね。

どういうことかというと、「道具としての用途を説明する」ことに限定してしまっていないだろうか?ということです。手ぬぐいを売る企業なり、作家さんなりがいます。そして、手ぬぐいユーザーがいます。作る側は普段から手ぬぐいユーザーである可能性がとても高いです。「手ぬぐいって何に使うのですか?」と聞く人というのは手ぬぐいを使ったことがない人で、なおかつ手ぬぐいに興味がある人です。興味の本気度は色々であっても、全く興味がなければ聞いたりしないはずです。ここで、考えたいのは初心者というのは正確な質問をなかなか考えつかないものです。その質問はもしかして、もう少し意を汲んで翻訳すると「手ぬぐいとは何か?また、生活に取り入れるとどんな得をするのか?」というようなことを聞こうとしているのではないでしょうか?手ぬぐいを道具として考え、用途をたくさん紹介するという答え方で、果たして正解なのだろうか?と感じるんですよね。このことが、数年気になっていたこの記事で書きたいことでした。

手ぬぐいって、私はこの数日入院していたもので、布を使いながらゆっくり考えたんですけど、側にいてくれる「人」のようなものと似てると思うんですよね。孤独なときとか、助かります。ハンカチよりもタオルよりも頼れるものです。不安なときは握る。手をぎゅっ握ると汗が出ますが、手ぬぐいは水をよく吸ってくれる。小さな子供が顔を隠して「いないいないばあ!」とニコニコして遊ぶ。視線や光を避けたいときは広げて掛ける。着物の袖や、掛け軸のような比率の形をした手ぬぐいは、日本人の心理に深〜い関係があると思います。心の落ち着きを得るためのものです。……なんだかめちゃめちゃ曖昧な話ではありますが、すいませんがもう少しなんで。我慢して読んでください。

手ぬぐいには色と柄があり、言葉を介さなくても何を願っているか、静かに発信されます。私がまず考えたいのは、手ぬぐいの存在価値とは、具体的用途だけのものじゃないってことです。(用途ももちろん大事ですが。)

手ぬぐいはハンカチのように薄く、でも大きいので、折り重ねればふんわりとタオルのようになる。長いから首元にも巻ける。枕や、お弁当などを包むこともできる。織り目が詰まっておらず、端の縫い目もないので乾きやすく衛生的。しまい場所をとらない。

非常に、物としての自由自在感が強いので、初めから手ぬぐいの用途を習ってしまうよりも、自分が本当に好きな手ぬぐいを選び「自分はどんな人だろうか?」という問いをもって、布と一緒にいることを楽しむのが一番良いような気がします。だって、手ぬぐいを着物の帯がわりに結ぶなんてことを昔はしていたらしいんですよ……そんなこと全然思いつかなかったです。この間、広辞苑に書いてあるのを見つけました。

手ぬぐいの世界にはヘヴィ〜な手ぬぐい好きさん達がいっばいいるというのに、めちゃめちゃ個人的な考えを一気に書いてしまいました。お読み頂きありがとうございました!

さらしについてもう少し書いたら、また絞り染めについて書きたいです。それでは。