こんにちは皆さん。
https://shiborizomeko.hateblo.jp/entry/2025/06/11/051911
今回は「私が絞りに選ばれた」という話の続きを書く。
選べるのだと思っていた。小さな頃からずっとそう信じて疑わなかった。
と言うか「自分がやりたいことをやる」のが完全なる正解だと思いこんでいた。
そのように周囲が、はたまた社会が、常に私に語りかけているような気がしていたから。
でもそれは違っていた。少なくとも私の場合は。
まあ、もっと正確に言うなら、やりたいことをやることはいくつかできた。
心から楽しむことができ、他人と協力をし、ある程度の成果を出せることもあった。一定時間、花火みたいにキラキラと光り、闇に消えていった。
それらは食事で言えば副菜のようなもにあたるもので、
肝心の主食のような、毎日食べ続けるような、わかり易い言葉で言えば「進路」にあたるものはいつも自分の意思だけではどうにもならなかった。
軽い気持ちで、楽な気持ちで好きにやることはできるが、それは時々の期間限定であり、自分にとってのメインと自分の本心はいつもずれていた。
大変恥ずかしいことに、それがうまい事合致している(ように見える)他人を見つけては表面的につっかかりこそしなかったが、内心しっかりと羨んできた。
そんな人を見つけるたびにこう思った。
「なぜ私のメインは自分が選んだものではないんだろうか?」
誰かに勝手に決められた主食を、主菜を。
私の体は食べ続けねばならないのだろうか?それも、自分で選んだような顔をして。
こんなことが一生、続くのだろうか?自分の人生とは自分のものではないのだろうか?
誠に勝手ながら、そのような怒りを持っていたと思う。長い間。
そこで、ささやかな転機が訪れる。
軽い気持ちで楽しく訪れた観光地でたまたま出会った、圧倒的に美しい絞り染めの、想像もつかない奇妙なプロセスの形。
青花のエキスの色素で下描きされた布をその線に沿って針と糸を使って縫い、結び目をつくり、その糸を引き、布を摘んで糸がグルグルと巻き付られて留められている。
しなやかなはずの布が無数の固い蕾だらけに変わっていく、そんな作業途中のサンプルに触れた時。
いつかはこれを作るのだと感じた。
それは光だった。花火ではなく、また明日も明後日も私を照らす太陽だった。
数年後、自分の意思や様々な周りの状況により、その土地に住むことになった。
そこから2年ほどで実際に絞りの修行を初めた。
主食とか主菜とか、副菜だろうが何だろうが、もうそんなのは関係ない。
ただ手を動かすだけだ。
自分が自分にかけていた呪いは、そこから一気に吹き飛ばされた。
世界中の、古代のころから。
絞り染めは例えばインドがすごい。5000年前のインダス文明が花開いたころから絞り染めの技術がある。絞り染めの衣服は婚礼や儀式をする人々に纏われてきた。
世界各地で自然発生的に生まれ、影響し合ってきたと思われる絞り染め。
日本では安土桃山時代が絞り染めの頂点と言われる。
江戸時代〜明治の東北地方が絞り染めの歴史として、個人的には、熱い。
針と糸だけを使い、自分の手の中から絞りが生まれ、一枚の白い布がどんどん立体化し、たっぷりの染液に浸し染めにして、また糸を解く。
強い束縛と突然の解放を経て、それは出来上がる。
絞り染めの過程の圧倒的なパワフルさに私は感電し共鳴し、それが絞り染めに伝わり、絞り染めから私は気づかれて拾い上げられ、絞り染めの歴史に入れてもらったと思っている。
「それもまた思い込みでは?」とあなたは思うかもしれない。
でも、それは最早どうでもいい。
私は絞りに選ばれたので、絞りを始めた。
私にとって、それこそが重大な事実なのである。
少し(少しどころではなく)時間はかかるし、厄介なものかもしれないが、とにかくやっていくと思う。
これで、「私が絞りに選ばれた」話を一旦終わる。
今回、いつもより書きたいことを書きたいように書いた。
読んでくれてありがとうございました!
次回はもっと人に伝わるような文を書きたいと思う。できるかな。
それではまた次回。
※引き続き、月に1、2回の記事更新の予定です。