青青とした緑、もうすぐサヨナラだよ
今年の5月頃から時の流れが早かった、しぼりぞめこです。こんにちは。
いかがお過ごしですか?
今回はユルイ雑談です。色の話をします。
振り返ると5月くらいから、どんどん朝の空の色が濃くなってきていた。
今年の6〜7月は降水量が少なくて梅雨じゃ無いようなものだったし、明るく鮮やかな色の記憶が数多く眼に残った気がする。
今朝、緑がきれいだった。
それらは、これから秋に向かって少しずつ色づいていくだろう。
まだ緑のムラサキシキブの実を見た。
そして、民家の枯れかけのゴーヤがまだ少し実っており、歩きながらその実の儚げな薄みどりを見かけた。
今日の夕方、夕焼け直前の空と雲がなんだか秋めいていた。
「青々しい」と言うのだ。緑なのに。
ずっと昔、緑と青は区別されてなかったという説を聞いたことがある。
だからかは知らないけれど信号の光もほとんど緑なのに青と呼ぶ。
「隣の芝生は青い」という言葉もある。
出来る(ように見える)人と比べて、自分は色んなことが足りないと感じる。
より青く、より格好良くなりたいとつい感じてしまう。
文章を書くときは格好をつけないと決めた。ブログを書き始めたのは、染色に失敗した記事が最初だ。
出来ない、
出来ない、
出来ないと叫ぶ、ゆらゆら帝国(解散したバンド)の歌がある。面白い。
「出来ない」というのは自分の視点なのか、または他人からの視点なのだろうか。
私の場合どちらかといえば自分の主観として「出来ない」は存在することが多いと思う。
ほんとうは、他人からは「出来ない」なんて決められないはずだ。
ある日突然出来るようになることもあり、少しずつ出来るようになっていくこともある。
小さい子供が育つのを見ていてそう思った。
自分ではない人に対しては、「出来ない」ではなく「出来たらいいな」と思うことにする。
ため息交じりにではなく、「でっきたっらいいな〜」というリズムのイメージである。スキップのリズムである。
自分にも少し、そうありたい。
子供が夏休みに育てたミニトマトの、
薄緑がはち切れるほどの強い赤に変わったこと。
今年一番の季節の思い出だ。
どこへ行くかわからないような文章を読んでくださり、ありがとうございます。
今年、あなたの夏の色の思い出は何色ですか?
それでは良い秋をお迎え下さい。
また次回。