令和5年1月17日(火)研究して作ると、声になる

近くに工房を構える藍染め作家さんのとこへ年始早々会いに行った。一度ここの藍で自作のしぼりを染めさせてもらったことがある。

この4年ほどで溜まった試作を見てもらってなにかアドバイスを聞き出そうと考えていた。染めるときの布素材と色材について、つまり「何の布を何の色で染めるか」を特に聞きたいと思っていた。着いたら藍の仕込みをしていた。約束を一日、お互いに間違えていて忙しそうだった。といっても忙しいのはすくも(藍染めの材料)を踏む足であり、会話はできるということで、十分に1回の音声記録のときだけ息をひそめ、それ以外のときはずっと染め物づくりについての会話をした。

歩くようなリズムの音に、緊張せずに話をすることができた。布の精錬の話になったとき、精錬ということは何か改めて聞いても良いですかと質問したら快く教えて下さった。

手で作り出す模様は機械とちがって曲がったりするし、それを下手と言われることもあるたろうけれど、手でやりたいのだ…ということもポツリと話してくれた。

休憩時間のときに試作の布を数十枚出して、何枚かは解説をした。私の布は化学染料のほうが多いのだけど、5分くらい眺めて、その中の、ブルーグリーンに染めた布の上で急に手を止め、斜めにして光にかざし「これは黄色と青がみえますね、この色はいいですね」と言った。それは染料単色ではなく、混色して染めた布だ。浅い海の水の色が好きなのでしばらく青と黄色の染料を色々な配分で混ぜてブルーグリーンを染めたことがあったのだ。スレン染料というのは還元して染料を作るために出来上がりの色と全く違う染液の色になるので、データをとって染めてみるしかなく、混色の調節がとても難しく、乾ききった塩蔵ワカメのようなド緑になってしまってショックをうけたこともある(ワカメのことは好きだ)。苦労して作った色(だけ)が良いと言ってもらえて、また、混ぜた色もすぐに伝わったので、その人のことが凄いと思った。

失敗や苦労した結果の、もう少しこうしたいという苦心は、何となくものに宿るのかもしれない。ものはしゃべらない。しかし作る側の研究心は、その制作物自身の微弱な声のようなものなのかもしれない。それを聴いてくれる人がどこかにいる。