令和4年5月23日(月)勉強について

勉強の多くは、わからないことをわかるようにしていくことだと思う。漢字は絵なので、絵で覚えていることをあらためて読み下し言語情報に置き換えることで理解が深まる。着物→染色→染織の通り道を偶々見つけて独学をしてるけれど、読めない漢字がよくでてくる。たとえば「氈」は「おりかも」と読むことをさっき知った。毛氈(もうせん)は毛の敷物のことである。身の回りにある例では緋毛氈(ひもうせん)とかだろうか。

数年前は「正絹」を「しょうけん」と読むことを知らなかった。言葉の読み方を知れば意味がわかるのか?必ずしもそうではない。でも少なくとも自分の語れる言葉になる。語ると自分の無知が増えるような気になる。本当は知っていることが増えているはずなのに不思議。古い書物を読むと漢字が旧字体であることが多く、「体」が「骨へんに豊か」だったりする。場合によるが漢字は古いほうがたいへんに意味がわかるときもあると感じる。自分のバカをひけらかすことで勉強が進むならバカはなるべく細々(こまこま)ばらしたほうが自分のためかもしれないと思う。