絞り染めをもっと知りたい

きょうはクリスマスイブです。いよいよ今年も終わりに近づきましたね。

今年の秋に立ち上げたブログは絞り染めについて書く場所が欲しいと思って作りましたが、なかなかすぐに書くべきことも見つからず…。年末に乗じて、今考えてることを皆様へ向けて書いてみようと思います。

 

絞り染めを自分でつくるようになって1年半が過ぎました。

自分で考えた図案も少しずつですが生まれてきました。

f:id:mizudori_maho:20191224161755j:image

日本の古典模様の「七宝繋ぎ」をアレンジして、絞りの青いバッグが2つできた時のものです。

 

絞りを習い、身に付けたところから数えれば2年と3ヶ月ほど。

今2歳半の小さな息子の成長のようすを見ては、じぶんの絞り染めは今この時期なのだと思うようにしています。

覚えることがいっぱいで、何にでも興味をもち、闇雲にやって失敗して、泣いて、汚れて、喜んで、怖がって、とにかく毎日キラキラしている。楽しい&楽しい、そんな時期です。

(本当のところはなかなか思う通りにいかないなー、進まないなー、といつも思っちゃうのですが)

 

私は個人的なご縁によって絞り染めを始めたのですが、絞り染めは古くからある技法です。日本では安土桃山~江戸時代にその技術力は盛り上がり、現在は伝統工芸として各地に伝えられています。

今年は一般に普及している絞り染めの本を色々と読みました。それから、地元のギャラリーで古い絞りの展示を見たり、日本民藝館で名作の絞りを見たりしていました。南部紫根染め(糸治)と片野元彦さん、のどちらも本当に素晴らしかった。目が洗われます。

制作のほうでは、市内の工房で正藍染という微生物の発酵の力で染める、日光に強く、洗濯で色落ちのしない、理想のような天然染料でじぶんの模様を染めさせてもらう、貴重な体験をしました。

大きな藍の甕に布を持った手を肘の上まで浸けてゆらゆらと動かして染めました。

液の面をゆらさないように、「藍に気付かれないように」染めると教わり、それはキッチンでいつも染めているものとはかなり違うものでした。運良く晴れていた夏の日で、染めた絞り布を3回、天日に干して色を定着させました。

f:id:mizudori_maho:20191224162810j:image

藍で染めて天日干ししたものです


f:id:mizudori_maho:20191224162823j:image

ほどいたときは感動しました。

 

 

今は絞り染めのことをもっと知りたいと思うようになりました。なぜ美しいのだろうか。

今年の始め頃、夜、布団の中でも絞り染めについてググり続けイギリスのジェーン・カレンダーさんという人の絞りの本の存在にたどり着きました。

f:id:mizudori_maho:20191224163026j:image

表紙の絞りの力に引っ張られて早速取り寄せてみたら、日本の絞りの技法を学んで制作したとのこと。

洋書で全文英語なので拾い読みですが、そのとき私の知っていた絞りのイメージが覆されました。複数の技法を、独自の組み合わせで作品にしておられます。

日本や中国、インドなどにみられる絞り染めやロウケツ染め、更紗や手描きなどの布の装飾技法をイギリスは長い間持たず、その代わり刺繍の文化がたいへん発達したのだと本で読みました。(手仕事にみるヨーロッパの暮らし ユキ・パリス著)

だからかどうかは謎ですが、とても新鮮な印象の絞り染めです。

 

それにしても普通にくらしていると、絞り染めについて人と語り合うことがなかなかありません。

布に模様を染めるやり方はもっと効率的なものがたくさんあり、今や絞り染めはマイナーです。

草木染めを愛好している人は体感ではけっこういらして、そういう人は絞り染めに興味を持ってくれることが多いこともわかってきましたが、それでも近所に都合良くそんな友達はいません。

 

ふと、日本の文学ジャンルに絞り染めが出てくることがわかりました。

枕草子の「とくゆかしきもの」や、

百人一首にも選ばれている、「ちはやふる~」で始まる在原業平(ありわらのなりひら)の和歌など。

これまで得た絞り染めの情報とはまただいぶ違う感じがして、面白いです。

普通に学校で習ったようなことですが、これまで気付かなかったのです。

 

ちはやぶる 神代もきかず竜田川 からくれないに水くくるとは

 

有名過ぎますが、あえて引用します。この歌は古今和歌集にも入っていて、相手への恋の気持ちを表した歌として知られています。

在原業平が主人公のモデルとも言われる伊勢物語にもこの歌が出てきます。

色男として有名な在原業平らしく、ある姉妹に惚れ、自分の着物の袖を切り恋文を書いたというような出だしの物語でした。

 

この和歌を細かく訳してみると絞り染めのことが出てきます。

水くくる、の「括る」が絞り染めを表しており、から→唐(韓)紅は紅葉の鮮やかな赤です。竜田川の水にたくさんの紅葉が浮かび流れて絞り染めのようだ、という意味に読めるのですが、この歌はそれを「川の水を絞り染めにした(とは、不思議なことの多い神々の時代にも聞いたことがない)」と詠んでいるところに驚きを感じます。

ここからは私の感想ですが、絞り染めは基本的に浸染(しんぜん・ひたしぞめ)で染めます。水にとけた染料を染液とする、水をたくさん使う染めかたです。

それから、染めあがった絞りの余分な染料をとるのですが、絞りの糸を解いてから水で洗うときに、とてもきれいに鮮やかに見えるのです。乾かして、布として使う時よりも美しいと思うくらいです。

その写真があればいいのですが、今はありません。そう、例えば河原でキレイな色の石だなぁ、と思って拾い上げて乾かすと水の中のほうがキレイだったと思うことはありませんか。それに似ています。

話しがそれましたが、染め物、とくに絞り染めは水と親しいということを在原業平は知っていたのかどうか、水を絞り染めにすると見立てて恋の歌にするところが思い切っていて良いなと思いました。

 

日本における最古の絞り染め正倉院に伝わる染織裂の遺品に見ることができる(世界の絞り染め大全 安藤宏子著)ということからみても、日本の絞り染め奈良時代から始まったという認識です。

昔の文学の作品で絞り染めはどのように題材とされているのか、という興味がわいてきました。

古語で絞り染めは、くくり、くくしもの、こうけち、くくしぞめ、ゆはた(ゆいはた)等の名称があると図書館で調べてわかりました。

古語辞典をひくと、それぞれの意味や、文学作品での文例がわかります。

そしてその周りに、くくし小袖とかくくし帯など、絞り染めに関係する言葉がボロボロ見つかります。はー(ため息です)

ほんとうに身近に絞り染めがあって、それを美しいと思って、文字にしていたのだなぁ…と時代の違いを感じます。うらやましい。

在原業平がどのような絞り染めを見て感動していたのかが気になるところです。

絞り染めを話題にしていた当時の人と仲良くなりたい。それは無理なので、せめて読めるものはこれからも読みましょう。

言葉は時代を越えて残ることがあらためてすごいと思います。それを書き写し印刷し続け今へ残してくれた人達のありがたさも感じました。日本語よ。

 

それから全然違うのですが、倉敷民藝館を設立し、民藝運動に関わった外村吉之助(とむらきちのすけ)の「少年民藝館」という本では、絞り染めについて「どこの家庭でも木綿の布をしぼって藍染の紺屋で染めてもらいましたが…」と書かれていて、そういう普通の家庭の絞りはどんな模様だったのか、なども気になります。

地方の民藝館巡りをすれば、絞りの仕事着などがありそうです。

それでなくても、東北の地域で生まれた浅舞絞り(秋田)などを見に行くことでヒントが得られる気もしています。

それらは来年以降少しずつ当たって行きたいと思います。

 

 

長くなってきたし、まとまりそうにありません。こうなるから書くのは難しいです。まだわかってないことが多すぎて恥ずかしくもありますが、そういうことは年末のバタバタに紛れて欲しいと思います。

 

江戸時代の俳句集「細少石(さざれいし)」に入っているというきれいな俳句を知りましたので、終わりに置くことにします。

風の手をくくし染めせよ花衣

 

 

それでは、良い新年をお迎えくださいね。